などの顛末とその後を追った番組があります。 ナレーションを務めたアナウンサーがその後のニュース番組に出演されていて、冒頭で少し涙目になっている様に見えましたのは私だけだったでしょうか。 だけどこのままじゃ「生きジゴク」になっちゃうよ。 虐めで金儲けではないの?, 投稿: « 自民総裁選 決選投票か | ・・・とか・・・とかにきけばわかると思う, 俺だってまだ死にたくない。 ・あの死は、絶対に予見できなかった 【中野富士見中】犯人のその後【葬式ごっこ】 1 : 可愛い奥様 :2012/07/09(月) 21:10:14.60 ID:qKF3vJuF0 過去の大津事件のような苛め 2013年1月26日 (土) 13:12. ご両親かどうかはわかりませんが、平成27年か29年(良く見えません 1986年(昭和61年)2月1日、岩手県盛岡市の国鉄(現・JR)盛岡駅に隣接するデパート「フェザン」の地下1階男子トイレで、東京都中野区立中野富士見中学校2年の鹿川裕史(しかがわひろふみ)君(13歳)が自殺した。 ・大河内清輝君のいじめ自殺  2019/5/19 最後のお願いだ。, 館内を見回る警備員が、トイレのドアが閉まった状態を不審に思い調べると、そこに鹿川裕史くんの変わり果てた姿があった。, 2月3日、鹿川裕史くんの葬儀が行われ、妹が『お兄ちゃん、行っちゃやだあ!』と棺に縋りついたという。, その後、遺体は岩手県で火葬され、遺骨は2月5日夕方に東京の自宅に送られてきたという。, 鹿川裕史くんがいじめを苦にして自死をしたということは、すぐにマスコミも嗅ぎつけて連日、報道される。, 当然、取材対象は雅弘さんやみどりさんであるが、それ以上に教師に対する責任追及が取材を通して行われた。, 中野富士見中の校長は鹿川裕史くんが自死したことに関しての原因を、取材記者に問われると, 『が、いじめといっても、仲間同士のプロレスごっこや、使い走りをさせられている程度だ』, と、さも事態はさほど校長が他の教諭たちから聞いている程度では、深刻な事態になるとは考えられなかったとでもいいたげだ。, 『屈辱感がやりきれなかったのでしょうか。 精神的にまいっていたし、どちらかと言えば気の弱い子でしたから。』, 『仲間の使い走りをさせられる、一緒に騒ぎを起こさせられる、ふざけた行為を強いられるなど精神的な圧迫が主だったようです。』, だが、このF教師は前述した様に定年を間近に控えている為に事を荒立てたくなかったから、強く注意できなかったというが、実はまだ伏線があった。, 驚くべきことに後に判明したのは、岩手県で火葬された鹿川裕史くんの遺骨が東京に戻ってきた日。, 2月12日、鹿川裕史くんのいたA組の隣、2年B組で起きたことは鹿川裕史くんを持ち出して、鹿川二世と気弱な同級生に暴行する生徒が出た。, それを警官が見つけて、事情聴取となり、何と鹿川二世と言った暴行した生徒が逮捕されるという事態になる。, 問題はいじめグループの中で鹿川裕史くんの遺書に名指しされた二人はショックを受けていた。, 加害者、学校側だけではなく、報道によって騒ぎが大きくなると鹿川家にも誹謗中傷が相次いだ。, 校長と教頭も数年後に定年を控えていたが、それを待たずに依頼退職をして学校から去った。, 4月になり警察は鹿川裕史くんを日頃からいじめていた16人の生徒を傷害と暴行の罪で書類送検。, 6月、雅彦さんとみどりさんは東京都と区、そしていじめに加わっていた主犯生徒のAともう一人の生徒、そして二人の両親を相手に損害賠償請求を起こした。, 東京高裁はいじめの事実を認め、東京都と中野区、そして主犯生徒Aともう一人の生徒、そしてその両親らに総額1150万円の支払いを命じたという。, 葬式ごっこなどという、下劣極まりない行為をクラス全員で行い、しかも本来はイジメを止めさせる立場にある教師が参加していたという異常な状態。, 現在ならばいじめを起こした中心人物は、おそらくはTwitterなどで晒し上げにされて法では裁かれずとも、一般市民による見えない裁きが下されていたことだろう。, 生徒による教師への暴力なども拡散される時代となった為に、確実に現代においてはイジメをする少年少女は非難される対象となり悪名が轟くことになる。, だが、それが抑止力となることはなく、いつの時代も必ず起きるものが『いじめ』という陰惨で極めて多感な少年少女の魂を傷つける行為。, もしや人間の本能の中には、多かれ少なかれそういう黒い情念があるものだとさえ感じる。, 鹿川裕史くんの死をどう見るのかは人それぞれだが、こうした悲劇を思い返しながら、絶対に自分の周りではイジメを起こさせないという気持ちを駆り立てるのは必要ではないだろうか?, 「神保遼の顔写真画像や自宅が特定されている! 都内小学校で、今、いじめにあっています。学校は隠蔽隠蔽で、加害者の子はエスカレートして行っています。 周囲に助けをどうやって求めればよいのかもわからない。 お子さんが精神的に潰される前に転校してリセットした方がいいですよ。知り合いのお子さんが2クラスしかない公立小でやんちゃな子数人からいじめのターゲットにされ心が潰れそうになりました。知人のお子さんは登校拒否寸前になるまで黙っていたみたいで、事の重要さに気がついた知人は翌日、家庭の事情のため転居することになったから準備のため明日から子どもを休ませますと子どもを学校に行かせず隣市で転居先を慌てて探して書類上転校したそうです。 岩手で起きたいじめ事件は収束を迎えたとされているが、一生、こんな酷いことを過去のものとして風化させない為にも、敢えて取り上げてみよう。, 鹿川裕史くんは、1972年3月10日に生地問屋を営む鹿川雅弘さんとみどりさんの初めての子供として生を受けた。, 名前の由来として『裕史』に込められた意味は、心の広い人間になって欲しいという母・みどりさんの祖父がつけたものであった。, 後に一部の同級生や近所の人の証言によると、鹿川裕史くんの性格は明るくニコニコして、優しかったという。, 1984年4月に東京都中野区中野富士見中学校に進学した鹿川裕史くんであり、1年生のころは平和な中学生生活を送れていた。, しかし、2年生に進級してからが後に鹿川裕史くん自身が遺書に残す『生き地獄』と化すのである。, 2年生になってからは、A組のクラスメイトと打ち解けていたのだが、次第にグループ内では使い走りをさせられる様になる。, 温和で優しい性格の鹿川裕史くんは仲良く振舞っている友達に頼まれると、些細なことでも断れなかったのだと思う。, それを面白がった同じクラスのグループの生徒は、隣のB組やD組の生徒なども加わらせ、鹿川裕史くんに対するいじめをするようになった。, プロレスごっこと称して、技をかけられたりするようになり、さながら鹿川裕史くんは他の同級生から見ても『サンドバッグ』状態であったという。, また学校机と椅子で積み上げられた空間に鹿川裕史くんは閉じ込められたりし、野球拳を強要されて服を脱がされたりなど。, 野球拳は鹿川裕史くんが例えジャンケンで買っても相手の生徒は服を脱がないものであり、あくまで鹿川裕史くんを晒しものにして辱める為だけに行われていた。, 程なく鹿川裕史くんがクラス内で入っていた(入らされていた?)グループはバンドを結成する。, だが、やはりやることといえば使い走りであり、先輩の3年生もコキ使われる鹿川裕史くんをみてパシリとして使っていたという。, 要するに一部の生徒たちから、既に鹿川裕史くんは『何をしてもいい』存在となっていたのだった。, この当時の中野富士見中学において、非常に目立っていたと思われる鹿川裕史くんに対するいじめ。, いじめに加わっていない同級生も決して止めようとしなかったのは、おそらくは自分が標的になるのを恐れたからだ。, 2年A組の担任であった教師・Fは、鹿川裕史くんが使い走りをさせられるようになった頃に、父親の雅弘さんに連絡をしている。, 何故ならば、この教師もおとなしい性格であり、数年後には定年を控えていたから、事を荒立てたくはなかったという保身に走ったのだ。, 他の教師たちもおそらくは鹿川裕史くんがグループ内でいじめを受けていたことは知っていたと思われる。, 現にF教師ではないようだが、廊下で踊ることを強要された鹿川裕史くんを見つけたときに、割って入り注意をしていたりする。, だが、実際にはおそらくはA組で明るく中心的な人物であった生徒がイジメの主犯格であったこともあり、強くそれを制することが出来なかったのかも知れない。, そしてそれはいじめを積極的に行った生徒たちだけではなく、教師も加担するという恐ろしいことになるのだ。, これ以前から鹿川裕史くんは無視される対象となっており、いじめグループが何かを思いつくと相手にされるという関係になっていたようだ。, 鹿川裕史くんはこの頃、スケボーをして足を負傷してしまい、そのことで遅刻することが多くなっていた。, そして黒板の前に鹿川裕史くんが使っていた机が置かれて、牛乳瓶に差した花が供えられ、お菓子なども添えられていた。, 遅刻をしてきた鹿川裕史くんは、遅れて教室に入ると黒板の前に置かれた自分の机を見た。, そもそも、こういった悪質なイタズラに一筆を書いてしまうだけでも、既にいじめに加担しているということに他ならない。, ならば、既に2年A組には、鹿川裕史くんの居場所は無かったのだと思うし、誰も味方などはいなかったのだ。, そして、鹿川裕史くんが酷い状態になっているということが日常光景として、他の生徒たちにはうつっていたのかも知れない。, 11月に入り鹿川裕史くんが遅刻しがちになっていたということは書いたが、その時にいじめグループの一人が・・・, 記録によると、『笑っていいとも』のコーナーに『安産コーナー』というものがあるそうだが、これをヒントにしたという。, テレビでは安産を願ってのものだったが、これを逆にして死ぬことを強調して考えたものが、『葬式ごっこ』であった。, その際、前もっていじめグループの生徒が、教師に例の色紙を持っていき、寄せ書きに参加するように願い出る。, 生徒はドッキリであると強調されていたのだが、教師という立場を忘れて葬式ごっこに参加するという行為そのものが不可解極まりない。, それだけ鹿川裕史くんに対する2年A組の生徒たちの振る舞いが日常化していたということなのだろう。, と、いうのも葬式ごっこが行われた時に、鹿川裕史くんは色紙を持ち帰り、家族に見せていた。, しかし、その気持ちは当のいじめをする生徒たちには届くことは無く、葬式ごっこが行われる。, 更に最も率先して鹿川裕史くんに対していじめを行っている主犯生徒の母親に会って激しく抗議した。, 『あんたの息子をよく監視してくれ。 これ以上、息子にまとわりついたら、何が起きるかわからないぞ。』, 11月下旬になり、帰宅した鹿川裕史くんには傷があった為に、雅弘さんが問い詰めると3年生の名前を出した。, 雅弘さんは3年生に抗議しに行ったが、その後、鹿川裕史くんはグループの数人に『チクリを入れた』ということで殴られる羽目になる。, もはや、鹿川裕史くんに対してのいじめは止む気配がなかったものの、雅弘さんは諦めずに何度もかけあったのだが・・・。, 葬式ごっこが終わってからも、一向にいじめは止むことは無く、更に過激なものになっていく。, 11月26日、グループの中の三人といた鹿川裕史くんに対して、1年生の生徒が挑発行為に及んだ。