季語や季感を持たない無季俳句や、定型からの自由を目指す自由律俳句も、詩感の追求という点で共通するため俳句に含むのが一般的であるが、それらを俳句と認めない立場も存在する。 また、英語などの非日本語による3行詩も「Haiku」と称される。 女人咳きわれ咳つれてゆかりなし 心中に師なく弟子なくかすみけり 早乙女や茅花のわたをふきもどる 死にたれば人来て大根煮きはじむ 夜の霜いくと... けっしゃのえらびかた・結社の選び方【超初心者向け俳句百科ハイクロペディア/蜂谷一人】. コメント:StaticURI = 'http://static.blog.enjoy.jp/.shared-enjoy/'; 「夜食」 仕事が多忙になる時期=秋ということから。 荷物置き上着脱ぎかけ発車待つ 昭和12年 山嶺に弓なりの木木 栄光(ぐらうりや)! 夏石番矢 一句の中に季語を二つ以上使うことを季重なりといい、避けるべきとされています。狙いが分散し一句の中心が曖昧になってしまうからです。しかし季重なりでも、季語の主従がはっきりとしていて主の季語がきちんと働い 「鯨(くじら)」 夏っぽいイメージだが、鮫(さめ)とともに冬の季語。 歳時記は要らない目も手も無しで書け 御中虫 若い世代に俳句の楽しさを知ってほしいとの思いから 「相撲(すもう)」 本来は秋の豊凶を占う神事であったことから。 千人針はづして母よ湯が熱き 片山桃史 のはどちらとも正しいですか?, 人との会話で相手が「百歩譲っても」という言葉を使って来ました。 >百歩譲っても・・だとしても・・・と, 京都府を、京都といいまふね。 東京都も、東京といいますね。 千葉県を千葉といいますね。 では、北海道, 「母一尺の鏡を鋳る。」の、 「鋳る」はなぜ、ヤ行の上一段活用になるのですか?? なぜヤ行になるのです, 敬語の使い方について 痛かったので歯科医院の予約をしました。 症状を聞かれたので、 「左の奥歯が痛い, 隙←この漢字、げき、と、ひま、以外にもう一つ読み方があった気がしますが、なんでしたっけ?, 「儘塙」という漢字の読み方 谷崎潤一郎の書いた「少年」という小説に儘塙の家というのがでてきたのですが, 宿20系統とかあるじゃないですか?この宿って漢字の読み方はシュクですか?それともヤドですか?, ※各種外部サービスのアカウントをお持ちの方はこちらから簡単に登録できます。 銃後といふ不思議な街を丘で見た 渡辺白泉 ご笑覧下さい。, 投稿: まっすぐな道でさみしい 種田山頭火 面白い俳句の特別ルール その3:季語にとらわれない? 上で、17音と季語の説明をしましたが、 最近は現代人に俳句を楽しんでもらうために、17音にとらわれすぎず、季語にもとらわれない、自由形の俳句が良く見られるようになりました。 無季俳句(むきはいく)は、季語を持たない俳句のこと。 また季語はあっても季感(季節の感じ)を持たない俳句や、季語の有無を問わず詩感(ポエジー)を第一義とする俳句を含めることもある 。 。「無季」に対し、句が季語・季感を持つことは「有季」(ゆうき)という 。 公園の茶屋の亭主の無愛想 昭和16年, 上記のように俳壇の主流を占めていた「ホトトギス」の伝統俳句に対し、1931年の水原秋桜子の「ホトトギス」離反を始点として、反伝統・反「ホトトギス」を旗印とした新興俳句運動が起こる。当時の青年層を中心とした新興俳人たちは「ホトトギス」にはない近代的な叙情の表現や社会性の表現を目指し、一句では表現できない主題を連作俳句によって表現しようとしたが、このような連作において同一季語の重複を避ける意識から無季俳句が現われはじめた[21]。こうした動きの中、「天の川」主宰の吉岡禅寺洞は1934年にいち早く無季俳句の容認を宣言し[1][2]、以後無季俳句は新興俳句の主要な特色のひとつとなっていった[22]。, 新興俳人たちの中でも無季に対する立場はさまざまであり、例えば連作を積極的につくり無季俳句が注目されるきっかけをつくった秋桜子や山口誓子たちは無季俳句を認めない立場をとっている[23]。一方無季俳句を作った新興俳人たち(「無季派」と呼ばれた[24])も、その立場は一様ではなかったが、季語があってもなくてもよく、題材の季感の有無に応じて有季と無季を使い分ける「無季容認派」、季語や季感の有無を問わず句の詩感を第一とする「超季派」に大きく分かれる[2]。前者は日野草城や吉岡禅寺洞、後者は富澤赤黄男や篠原鳳作が代表的な俳人である[1][25]。(※以下、例句は戦後の作を含む), 一握の砂を滄海にはなむけす 吉岡禅寺洞 さらに、五七五の定型にこだわらない「自由律俳句」や、季語にとらわれない「無季俳句」なども発展していて、俳句も季語も、時代とともにアップデートされているのです。 秋の季語「天の川」。Free-PhotosによるPixabayからの画像 「鯛焼(たいやき)」 ちなみに今川焼も冬の季語。 「蕨餅(わらびもち)」 季節があるのは意外だが和菓子には春の季語が多い。 こんにちは。俳句部 部長のおやまんです。まずは俳句にとって大事なことをみなさんに知ってもらいたいと思います。もんのすごく簡単に言います。大事なことは2つだけ。 「身に入む(みにしむ)」 心身ともに寒さ冷たさを感じるという意味の言葉。 我に似し人を気おひてけなしけり 昭和5年 投函のたびにポストへ光入る 山口優夢, 例句は主として『無季俳句の遠心力』所収の酒井弘司編「無季俳句100選」から選んでいる。, 雑の句は四季の聯想なきを以て、その意味浅薄にして吟唱に堪へざる者多し。ただ雄壮高大なる者に至りては必ずしも四季の変化を待たず。故に間々(まま)この種の雑の句を見る。古来作る所の雑の句極めて少(すくな)きが中に、過半は富士を詠じたる者なり。しかしてその吟唱すべき者、また富士の句なり。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=無季俳句&oldid=78921432. 夏 立夏(5月5日前後)から立秋(8月7日前後)の前日まで http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2020/09/web-1bc9.html 歌書よりも軍書にかなし吉野山 各務支考 べっとりと濡れた今日の賃金が同じだ 橋本夢道, こうした新傾向俳句の広まりに対して、一時俳壇を退いていた高浜虚子は1913年頃に俳壇に復活、季語・定型を重視する立場を表明し「守旧派」を自称した。1928年頃からは「客観写生」の理念に加えて「花鳥諷詠」の理念を説き、俳句とはすなわち季節の風物(花鳥風月)を詠むものであるとして無季俳句を排斥する立場を取る[16][17]。虚子の主宰する「ホトトギス」の伝統俳句は俳壇の主流となり、これにより「季語を持たないものは俳句ではない」という観念が広まっていった[18]。なお20万を超えると言われる虚子の句の中には無季の句もあり、以下のような数句が確認できるが、いずれも後年になって句集・全集などから削除されたり、別の句に差し替えられたりしている[19][20]。, 虎の皮の褌に居る虱かな 明治32年 雨季来りなむ斧一振りの再会 加藤郁乎, 前衛俳句運動は難解化・抽象化に対する批判、前衛俳人同士の対立が起こったこともあり、やがて俳壇に起こった伝統回帰の流れの中で収束していった[33]。その後の1989年、金子兜太編による『現代俳句歳時記』に「無季・ジュニア」の部が作られ、また高柳重信を師とする夏石番矢は、季語による俳句に替わるものとして「キーワード俳句」を提唱、1996年に『現代俳句キーワード辞典』を編んだが[34]、前衛俳句運動以降は無季俳句をめぐる大きな動きは起こっていない[35]。宇多喜代子は1997年「ただ今の無季俳句」という文章で、かつて有季俳句と無季俳句との間にあった二項対立的な関係が現代の俳句では薄れていると指摘した。またその一方で現代の生活の中で伝統的な季語に対する実感が薄れて季語が虚構化しているとし、そのような虚構化された季語で作られた俳句はもはや無季俳句なのではないか、と述べた[36]。坪内稔典は同年の論考「季節と俳句」で、今日の無季俳句は季語が洗練されていくことへの一種の警鐘として意味がありそうだと書いている[37]。, 雨の朝のたましいにパセリを添えよ 池田澄子 俳句を上達させるためには、いくつかのコツをつかんだり、工夫をしたりすることも必要です。また、俳句には、いろいろな決まりごとがありますが、その中にはやってはいけない禁止事項も含まれています。それでは、そういったコツや工夫、約束事にはどのようなものがあるのでしょうか。 http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2020/09/post-f4d8.html 赤ん坊髪生えてうまれ来しぞ夜明け 中塚一碧楼 戦どこかに深夜水のむ嬰児立つ 赤尾兜子 「ぶらんこ」 中国伝来の遊具は、蘇東坡(そとうば)の詩から春の季語に。 「ラ・フランス」 外来語の季語も最近は決して珍しくない。, 「ジャケット」 四季を通して着用するものだが、季語としては冬。 雨漏りを指さす人と瓦廊かな 昭和11年 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 俳句の作り方 - 俳句入門 「お~いお茶新俳句」入選を目指して 俳句大学 All Rights Reserved. ご投稿をお待ちしています。 必ずしも五段目が一段目よりすぐれているという訳ではなく、あくまで頭の柔軟体操として俳句の可能性を広げようというもの。先日のnhk俳句では、司会の武井壮さんとゲストの上西星来さんの句を、対馬さんが五段飛ばししました。 入れ物が無い両手で受ける 尾崎放哉 しんじつたべ酔うた百姓のよろしき雨降り 栗林一石路 「滝」 降下する水やしぶきが涼感を与えることから夏の季語に。 「俳句は楽しむもの・苦にするものではない」 初心者が「名句」でなく「迷句」を作っても 恥じることはありません。 「迷句でも楽しめば良い」と割り切って 5・7・5を口ずさみましょう。 その内に、まぐれでも「名句」が出来るのが、 俳句の面白さです。 このブログ「俳句HAIKU」を書いています。 口の悪い方がこんなことを言っていました。俳句の結社は「組」のようなもの。入るのは容易いが、抜けるのが難しい、と。かつて結社の統制が厳しかった... 大勢で、あるいは気のあった仲間と外に出かけ俳句をつくること。これを吟行といいます。あなたの俳句力をあげるよい機会ですので、誘われたら是非参加... 一句の中に二つの切字を用いることはタブーとされています。季重なりを許容する俳人はかなりいらっしゃいますが、「やけり」「やかな」を許容する方に... ふぉーかすおくり・フォーカス送り【超初心者向け俳句百科ハイクロペディア/蜂谷一人】. « プレバトの俳句「鏡」 | 無季俳句(むきはいく)は、季語を持たない俳句のこと。また季語はあっても季感(季節の感じ)を持たない俳句や、季語の有無を問わず詩感(ポエジー)を第一義とする俳句を含めることもある[1][2]。「無季」に対し、句が季語・季感を持つことは「有季」(ゆうき)という[3]。, 無季の問題は江戸期、松尾芭蕉の時代から議論されてきた難題であった[1]。近世に成立した俳諧(俳諧連歌)においては、連歌の約束事を継承し、発句(ほっく。最初の五七五の句)には必ず季語を入れるべきものとされる一方、連句の座を離れた場においては無季の発句もしばしば作られていた。近代になって独立した発句を俳句と呼ぶようになるが、「ホトトギス」を長く主宰した高浜虚子は、花鳥諷詠を俳句の本質として唱えて無季俳句を排斥し、俳句は季語を含むべきものとする伝統俳句の考えを普及させた。, 近代俳句史においては、無季の問題は明治末期から大正期にかけての新傾向俳句運動、昭和初期の新興俳句運動、昭和30年代の前衛俳句運動という三つの俳句革新運動において提示され、時代ともに深まりを見せている[1][2]。今日の俳壇においても、無季俳句に対する立場は個々の俳人や結社・師系などにより様々である。, 俳句は俳諧(俳諧連歌)の発句が独立して読まれるようになったことから成立した形式であるが、鎌倉時代に成立した連歌においては、発句には必ず季語(季の詞)を入れるべきものとされていた[4]。例えば二条良基の連歌書『連理秘抄』(1349年頃成立)には、「発句に時節の景物そむきたるは返々(かへすがへす)口惜しき事也」と、発句に当座の季節に合わない句を用いることを戒める言葉が記されている[5]。しかし発句以外の部分では一定の式目(ルール)に従って無季の句を詠むことが可能であった。このような無季の句は「雑(ぞう)の句」と呼ばれ、例えば百句で成立する形式の「百韻」では、全体のほぼ半数が雑の句によって占められるのが普通であった[6]。, 連歌の発句において季語が求められたのは、これらが「座」の文芸であり、当季の季語を用いて句を作ることが、その席で作られた句であることを示す当意即妙性の証と見なされたからである[3]。近世になって、連歌では用いられない漢語や俗語(俳言(はいごん)と呼ばれた)を使用した俳諧連歌が成立するが、以上のような連歌の決まりごとは俳諧連歌においても継承され、発句において無季の句が詠まれることは非常に稀であった[7]。一方、芭蕉の時代から俳諧連歌の興行とは独立して発句のみを作ったり鑑賞したりすることが行われるようになり、このような発句においては必ずしも多くはないものの無季の句が作られている。芭蕉の門人・向井去来の著書『去来抄』では、門人・卯七からの「蕉門に無季の句興行侍るや」(蕉風では無季の句を発句とした俳諧連歌の興行は行われますか)との質問に対し、去来は次のような返答をしたと記されている[7]。, 無季の句は折々あり。興行はいまだ聞かず。先師(引用者注:芭蕉のこと)曰く、発句も四季のみならず、恋、旅、離別等、無季の句もありたきものなり。されどいかなる故ありて、四季のみとは定めおかれけん。そのことを知らざれば、暫く黙しはべるなり。, 芭蕉の無季の発句は後掲するものを含む9句が知られている[1]。のちに芭蕉の門人の一人であった広瀬惟然は、無季の発句を当然あるべきものと主張し、『二葉集』『花の雲』『当座仏』などで自身の門人とともに無季の発句を多数発表した。しかし奇矯な作風に流れたことが災いしその主張も広く受け入れられることはなく、以後近世中には無季の句をめぐる運動は起こらなかった[8]。, 歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな 松尾芭蕉 一句の中に季語を二つ以上使うことを季重なりといい、避けるべきとされています。狙いが分散し一句の中心が曖昧になってしまうからです。しかし季重なりでも、季語の主従がはっきりとしていて主の季語がきちんと働いていれば構わないとされています。そうは言っても季語が三つ以上となると論外。そういうと必ず, はどうなんだ、という方が現れます。素堂は江戸中期の俳人。そもそも江戸時代には歳時記が今ほど整備されていませんでした。季語の数も少なく、季重なりという概念もあまり意識されていなかったようです。季重なりがはっきりと避けられるようになったのは明治以降のこと。, あるとき番組にみえたゲストが「正岡子規はけしからん」と憤慨なさっていたことがあります。子規のおかげで俳句が堕落したとのこと。季重なりを厳しく言うようになったのは子規のせい。皆が集う座の共同作業から生まれた俳諧(連句)が衰退し、個人の作品として発表する俳句が隆盛をみたのも子規の責任だというのです。子規の功罪はともかく、季語が二つ三つ平気で入っていた時代の大らかさに私も憧れます。, 季重なりは現代でも許容する俳人もいますから一概には言えませんが、初心者のうちは避けたほうが無難。例えてみれば、就職活動の会社訪問のようなもの。リクルートスーツなら一色でコーディネートが完成。これが季語一つの世界。面白くないかもしれませんが減点にはなりません。一方、季語を二つ入れるのは、ジャケットとパンツ。それもアリだとは思いますが、コーディネイトのセンスが問われます。. 草二本だけ生えてゐる 時間 富澤赤黄男, また篠原鳳作や渡辺白泉、西東三鬼らは、伝統的な季語に対して「ラグビー」「タイピスト」などの都会的で社会性の強い言葉、「母」「愛」「死」などの詩的なインパクトの強い言葉(詩語)を用いて句作を試みた[25]。1937年に日中戦争が起こると、「無季俳句本来の面目を耀かせる絶好の機会」(三鬼)とされ、季語に対して「戦争」をキーワードとする戦争俳句が新興俳人たちによって積極的に作られた。特に三鬼は内地にいながら戦地の光景を想像して詠む戦火想望俳句を推進し、草城や東京三(秋元不死男)らもこれをつくったが、従軍した俳人による前線俳句(富澤赤黄男、片山桃史)、銃後の生活を題材にした銃後俳句(渡辺白泉、井上白文地)なども多数作られている[26][27]。, これらの新興俳句運動は1940年、政府からの言論弾圧を受けて終焉に追い込まれるが(新興俳句弾圧事件)、個々の新興俳人の活動は戦後に復活してその流れが受け継がれ[28]、従軍した鈴木六林男、戦火想望俳句を作った三橋敏雄などは戦後も続けて無季による戦争俳句を作り続けた[29][30]。, 兵隊がゆくまつ黒い汽車に乗り 西東三鬼 「まんぽ俳句会」(SNSも活用)を始めました。 2019年12月13日 (金) 09時47分, SNS世代に俳句の楽しさ・面白さを知ってほしいと、 テレビ番組「プレバト!!」の「俳句の才能査定ランキング」の人気とともに、俳句に対する注目が高まってきています。, 毎回、季節の写真から芸能人・有名人が詠んだ俳句に対する、夏井いつき先生の講評が痛快で面白く、添削後の変わりようも素晴しいの一語! 番組の影響で、俳句のすごさが広く知られるようにもなりました。, 俳句は、五文字・七文字・五文字の計17文字(17音)でつくった日本独自の定型詩です。, 国語の授業で取り上げられることから、多くの人が俳句に親しんできた経験をもっていて、日本の俳句人口はなんと800万人とも1000万人ともいわれるほど!, 今では日本語のみならず、外国語にも”HAIKU”が広がっていて、世界的なスケールになってきています。, その分類には細かい内容もあるのですが、最もわかりやすいのが、俳句には季語があり、川柳には季語がないということです。, 俳句は基本的に、自然を文語で詠嘆するものなので、四季折々の自然を象徴する季語が欠かせません。, それに対して、川柳の対象となるのは人や世の中。それを口語で表現するというところに大きな違いがあります。, 夏の季語「滝」。涼を求めて(達沢不動滝) © Koichi_Hayakawa クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示4.0 国際), 季語というのは、その選び方、使い方ひとつで俳句のよしあしを左右する重要なカギ。その季語を季節ごとに分類して解説と例句を加えた「歳時記」は、俳人にとっても手放せないものだといいます。, 俳聖と呼ばれた江戸時代の俳人・芭蕉。『肖像集8.松尾芭蕉』栗原信充 国立国会図書館, 春夏秋冬の季節ごとに装いを変える自然に恵まれた日本では、古くから季節ならではの趣を味わうことが大切にされてきました。, それは美術工芸において特に顕著ですが、文学においても『万葉集』のころから季節を題材にした歌が詠まれてきました。, 平安時代後期に能因(のういん)が著した『能因歌枕(うたまくら)』には、風物を表す言葉が月ごとに分類されていました。これが季語という概念の初期とされます。, 鎌倉時代に成立した連歌(れんが)では複数の人が参加するため、コンセンサスの必要性から、連歌の最初の発句(ほっく)にはそのときの季節を詠まれるようになり、続く室町時代にも受け継がれます。, 江戸時代になって俳諧(はいかい)が成立すると、自然のみならず身近なものまで、さまざまな季語が集められるようになります。, たとえば、『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』を書いた滝沢馬琴(たきざわばきん)が享和3(1803)年に記した『俳諧歳時記』には2600の季語が集められていたとか。俳聖・松尾芭蕉(まつおばしょう)も季語の発掘を推奨していました。, そして、季語の重要性は明治時代に俳句の近代化に取り組んだ正岡子規(まさおかしき)、高浜虚子(たかはまきょし)らに受け継がれ、今日に至っているのです。, 新しい季語は近代以降も、俳人が俳句に取り入れ、それが歳時記に採集されるという形で増え続けてきました。, それは、俳句をたしなむ人たちの結社や同人会による違いもあって、現在季語とされている言葉は軽く5000を超えるほどです。, また、最近は海外で暮らす人や外国人の俳句愛好家が増えていて、その土地ならではの季語も登場しているのだとか。, さらに、五七五の定型にこだわらない「自由律俳句」や、季語にとらわれない「無季俳句」なども発展していて、俳句も季語も、時代とともにアップデートされているのです。, 春 立春(2月4日前後)から立夏(5月5日前後)の前日まで 「山笑う」 明るくなった日差しのもと、生気に溢れた緑色の山の姿を表す。 見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く 日野草城 Emoticon.Pallet.captionText = 'シフトキー+クリックで連続入力'; http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2020/09/web-1bc9.html, http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2020/09/post-f4d8.html, http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/11/post-d2ef-1.html. 初心者が「名句」でなく「迷句」を作っても 「涅槃西風(ねはんにし)」 涅槃会(陰暦2月15日)前後に吹き続く西風。, 「香水」 薄着になるとより印象的になることから。 2019年11月20日 (水) 18時50分. いつせいに柱の燃ゆる都かな 三橋敏雄, 戦後になると俳文学者の潁原退蔵らによって無季俳句の学問的裏づけがなされ[2]、俳句が季語を要するという考えが連歌の約束ごとに由来するもので、俳句形式にとって本来必須の要件ではないといったことが説かれた[31]。実作においては初期には富澤赤黄男らを中心とした「太陽系」「薔薇」などで展開されたが、無季俳句の議論が深まるのは昭和30年代の前衛俳句運動においてである[2][1]。もともと社会性俳句の流れの中にいた金子兜太は、「創る自分」と呼ぶ主体意識を明確にしながら暗喩的なイメージを獲得することを説き[32]、現代社会に生きる人間の表現を目指した。一方富澤を師とする高柳重信は、多行俳句の実践などによって言語芸術としての俳句表現を志向した。前衛俳句運動はこの二者を中心として展開し、内面意識の表現や新たな詩的感覚を目指す中で折々に無季俳句が作られていった[33][2]。金子兜太を中心とする流れの中には堀葦男、林田紀音夫、島津亮、八木三日女などの俳人がおり、高柳重信に近い立場の俳人には他に赤尾兜子、加藤郁乎などがいた[33]。, 湾曲し火傷し爆心地のマラソン 金子兜太 「苺(いちご)」 現在は冬や春の出荷量が多いけれど、本来は夏が旬。 階段を濡らして昼が来ていたり 攝津幸彦 「遍路(へんろ)」 年中とおして行われるが、季語では春に該当する。 「雪渓(せっけい)」 一瞬、冬のようだが、夏山登山に由来する夏の季語。 「伊勢参(いせまいり)」 類する言葉もすべて春の季語。 俳句の説明として俳句は定型以外に「自由な音律の俳句」というものもある。原則「季語」が必要だか、季語のない俳句もある。それを「無季俳句」というのはどちらとも正しいですか?自由律俳句 作品例弟を裏切る兄それが私である師走(河 「迷句でも楽しめば良い」と割り切って 「鮪(まぐろ)」 一年中店頭に並んでいるけれど、旬の関係から冬。, 芭蕉が「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ山形県・山寺(立石寺)に立つ、芭蕉と弟子・曾良の像。丸岡ジョーさんによる写真ACからの写真, 通称TAKE-G(たけ爺)。福岡県飯塚市出身。東京で生活を始めて40年を過ぎても、いまだに心は飯塚市民。もともとファッション誌から始まったライター歴も30年を数え、「和樂」では15年超。日々の自炊が唯一の楽しみ(?)で、近所にできた小さな八百屋を溺愛中。だったが、すぐに無くなってしまい、現在やさぐれ中。.